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このページは、天野画廊の画廊主・天野和夫の、きわめて個人的な出来事を綴ったものです。
画廊の仕事が、一見個人的であるにもかかわらず、社会的な機能を果たしているありさまを、
おわかりいただけるかと思います。
自他ともに、プライバシーには慎重に配慮いたしますが、うっかりと逸脱している場合は、すみ
やかにお叱りのお言葉をお願い申し上げます。                天野画廊 天野和夫

画廊主
   の
独り言
お叱りのお言葉,ご意見など
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2011年1月

関東大震災のときにも起こったと聞いているが、今回もまた、在日外国人、特に韓国・朝鮮人に対する差別発言、
というよりは、ほとんど罵声に近い暴言の数々が飛び交っている。
Twitterを見ていると、その氾濫ぶりに目を覆い
たくなるほどだ。とりわけ、著名人に対してはひどい。震災によって、民族意識や団結力に目覚めること自体は
、悪いことではない。だが、なぜそれが、排外主義に向かうのか、私にはそれがわからない。

関東大震災のときとはうって変わって、現代は桁違いに国際化が進んでいる。戦後の民主主義も定着したと見て
よい。だが、差別意識は根強く残っていた。

私は、自分自身のことを、過激派でもなければ右翼でもない、どこにでもいる日本人だと思っている。ただ、仕事
を通じて、この
30年の間に韓国には数え切れないほどの渡航を重ねた。それは、光州事変後の韓国の民主化の
歴史と軌を一にしている。そして、そのつど、わからないことを自分で学び取ってきた。そのいちいちを、ここで述べ
るつもりはない。ただひとつ、私の祖先は、朝鮮半島から来たであろうことは、確信するに至った。

それは考えてみたら、あたりまえのこと。日本の古代史において、弥生人が半島系であることは、いまや自明に
なっている。半島から渡来したのは、古代で終息したわけではない。その後も波状的に、あるいは日常的に渡来が
継続したと見るのが自然だ。もっとも、日本史が天皇中心の歴史に収斂されてゆく中で、日本民族としての純粋さ、
いわゆる国粋的な見方以外のものが排除されてしまったのだが、地球規模で歴史のダイナミズムを語るとき、この
国粋主義的な枠組みが、いかに無力であるかは明らかだ。この問題も別のときに細述するとして、私の体を流れる
渡来系の血を、今は格別の感慨もなく、忌み嫌うわけでもなく、あるがままに私は受け入れている。日本列島に渡来
する人々の後を追うように、北方から徐々に南下した人々が朝鮮半島に定住したのなら、むしろ韓国人より私のほう
が先輩格になる。

昨今、ソウルで韓国の友人と口論になるとき、私はたびたびこの論理を持ち出して、相手黙らせる。なにしろ、先輩に
は礼を尽くす国民性だから。

何はともあれ、自らのルーツを理解することが、差別意識解消の早道ではある。

震災時の差別

3月23日

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