画廊主
   の
独り言

このページは、天野画廊の画廊主・天野和夫の、きわめて個人的な出来事を綴ったものです。
画廊の仕事が、一見個人的であるにもかかわらず、社会的な機能を果たしているありさまを、
おわかりいただけるかと思います。
自他ともに、プライバシーには慎重に配慮いたしますが、うっかりと逸脱している場合は、すみ
やかにお叱りのお言葉をお願い申し上げます。                天野画廊 天野和夫

お叱りのお言葉,ご意見など
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身の回りの人が死ぬと、とても悲しい。それでも、自分がまだ若い頃は、それでめげることはな
かった。亡くなる人との年齢差もあって、悲しいながらも、どこか他人事であった。それが、徐々
に年齢差が縮まってくると、言いようのない悲しさに襲われる。
5月のはじめ、高校時代の一年先輩が、この世を去った。絵描きであった。卒業後何年かのブ
ランクはあったが、絵描きと画廊主の関係が25年も続いていた。画業半ば、という実感はない。
誰が、いったい、画業半ばという判定を下せようか。まるで残された妻のように、ただ本人の写
真に見入る。57といえば、死ぬには早いが、人生7割は終わっている。残った3割で、私は自分
の人生の精算をしなくてはならない。それが先輩に対する、一番の弔いになる。意識の上では
確かにそうなのだが、実際生きることと死ぬことは、紙一重の差もない。見舞いに行って、元気
な顔を見届けたその夜に、旅立ったのだ。そして、また、写真を見る。

一番の弔い

2004.05.20



韓国でマクサバルという陶芸のワークショップが、今年で7回目を迎える。多数の作家による共
同制作や,地域交流などがその趣旨で、これに参加する陶芸作家の推薦を、韓国から求められ
た。この種のイベントは、予算不足が常だ。それに、例によって、韓国人の出たとこ勝負式の運
営方法が加わると、普通の日本人はイライラが募り、結局不満たらたらで帰国する羽目になる。
だから、私は常に、予定通りことが進むことなど、韓国ではありえないことを強調する。そして、
自分のメリットだけを考えるように忠告する。今年は、ソウルにすむ私の盟友が現地スタッフに

加わっているので、いくぶんはましだと信じて、私も人選に応じた。だが、果たして信ずるに値す
るかどうかは、蓋を明けてみないとわからない。一方、こちらの人選にも問題がある。イベントの
新鮮味を取り戻すために、こちらからは30代の陶芸作家に絞ったが、特に30代はキャリアが不
ぞろいで、作家同士の軋轢も多い。かくして、その調整役、はたまたイベント全体のスムースな
運営に寄与すべく、私も出かける羽目になる。はて、私のメリットは何なんだろうか?

私のメリットは?

2004.05.22

開催中の展覧会が、運良く新聞に掲載された。おかげで、電話の問い合わせも多い。今回は
その中で、作品を買ってくださった人がいた。うれしい限りだ。だが一方、「わかりにくい画廊だ」
と、迷いながら訪れる人もいる。こちらの説明が行き届かない場合もあるが、たいていは、大
体この辺だろうと思い込んで、近くをうろうろした末にこられる場合が多い。わからなければ電
話をいただくようにと、必ずこちらから申し上げるのだが、家を出るときに電話番号のメモを置い
て出る人がほとんどだ。だから二度目の電話がかかることは、まずない。だから、その都度
「わかりにくい画廊で申し訳ありません。」とお詫びすることになる。

ところで、大阪市内でわかりやすい画廊は、どの画廊だろうか?一度聞いてみたいのだが
やみにとられるのは本意でないので、今まで聴いたことがない。美術もジャンルが広くて、私の
画廊は現代美術と呼ばれるものを扱っているのだが、同種の画廊は例外なく「わかりにくい」場
所にある。経費を抑えるために、表通りには難しいためだ。6年前は国道1号線に面したビルの
中にあったのだが、2階だったために「わかりにくい」といわれた。今度はビルの1階にあるのだ
が、表通りから見えないので、やはり「わかりにくい」といわれる。
さて皆さん、表通りで手広く営業するすし屋さんと、裏通りのすし屋さん、果たしておいしいのは
どちらでしょう?

2004.05.28

新聞に載ると悩むこと

大学時代のクラスメートが、中国人の著名な音楽家のマネージャーをはじめた。新しい練習場
を、中津に作ったというので、見に行ってきた。JR大阪駅に近いにもかかわらず、開発に取り残
されていた地帯だが、最近某アクションスターの経営する道場や、ミニシアターなどが出来、町
の様子が変わってきた。数年前は、JR大阪駅から西のほうに開発が進み、いまや福島駅まで
連続してひとつのエリアが出来てしまった。ここ中津も、数年のうちに大阪駅の北エリアとして
ひとつの文化ゾーンを作り上げるのだろう。50半ばをすぎても、目前の変化には、ワクワクさせ
られる。やはり長生きしなければ。そして自分も参加していかなければ。

50半ばを過ぎても

2004.06.02

展覧会は、画廊にとっても作家にとっても桧舞台だが、それは表に見える限りのことで、実は
日ごろからとても周到な準備が、両者によってなされることが多い。キャリアのある作家の場
合は、売れる売れないが展覧会の成功を意味するが、若い作家の場合は、見る人の反応の
強さが、成否の鍵になる。したがってどうしても、若い作家の展覧会の場合、私との間で、スト
イックな会話が積み重ねられて行く。思い入れも当然増えて行く。だが、そういうう思い入れが
,ある日無残にも蹴り飛ばされる。犯人は当の若い作家である。対話は中断され、信頼関係は
根こそぎ崩れ去る。それでも、当人は悪びれるわけでもなく、ただ、去って行く。
私が甘やかしたツケかもしれない。

甘やかしたツケ

2004.06.09

京都のギャラリー・マロニエで、韓国のアン・ソンクムの個展を見に行った。彼女とは先月ソウ
ルで会ったばかりだが、作品を見るのは久しぶりだ。一番はじめに作品を見たのは、もう10年
も前になる。釈迦の坐像を縦に真っ二つに割って、無数に床に並べた作品だが、世の中の不
条理がそこに凝縮されていた。人間として多感な時期に「光州事件」を体験した彼女は、一貫
して社会とのかかわりをテーマに作品を発表する。
今度の作品は、人間の心臓を樹脂で成型したものを、イラクの地図をかたどるように並べ、
その中央に心臓のかたまりを積み上げている。もちろん人の生死があすをも知れないことを
感じさせるに十分だし、人を心臓に置きかえることで、人種というレッテルを剥がすことも要求
している。
韓国は「光州事件」以後、ソウルオリンピックや、サッカーのワールドカップを経て、先進国の
仲間入りを果たした。それと共に彼女のような作家も姿を消し、いまではマイナーな存在にな
ってしまった。しかし地球上には、紛争を抱える地域が後を絶たない。あらためて自分のこと
として考えなければならないと思った。アンさん、ありがとう。

社会とのかかわり

2004.06.14

画廊の入り口横に、他の画廊で開催中の案内状を入れるホルダーがある。全部で10軒分用
意しているが、画廊にこられる人たちへのサービスのつもりで、数年前に手作りで用意した。
ここのところ、ホルダーが満杯の状態が続いている。それでも置いてほしいと持ってくる人が
多い。いきおい選択しなければならない。そうなると何を基準に選択するのか,決めておく必要
がある。まず、展覧会の内容にかかわらず、ぞんざいな態度で置いていかれる案内状は、ま
ずボツにさせていただく。それでも満杯のときは、軽い内容のものをボツにする。まだダメなと
きは、終了日が近づいてきたものと取り替える。
案内状を持ってこられる皆さん!ボツにならないようにするには、まず礼儀正しく預けることで
す。

ボツにならないように
するには

2004.06.25

画廊主の醍醐味は、なんと言ってもいい展覧会をすることだ。だが実現までには、難しいことが
多々ある。
先日とても興味ある作品を作っているIさんに会った。ポリマープレートという最先端の技法で版
画をつくっている。私が興味を持ったのは、その最新の技法もさることながら、作品のモチーフ
に自閉症児との応答を通じて作られたオブジェが使われている点だ。作者と児童とがかけあうさ
まは,裏表一体で、ともに等価なのもであるがゆえに、版の制作プロセスと共通するものがある。
そしてそのときのかけあいが、裏表の関係性という認識に達するとき、それ自体がこの作者の
作品のコンセプトになる。
きわめて論理的な構造に、ある種の快感を覚えた。この種の作品に有りがちなのは、借り物の
下敷きに自分のものを加えるやりかたで、コラージュやアッサンブラージュもしかり、現代では
奈良美智や村上隆,森村泰昌ら多くの作家がその延長線上にある。コンピュータ処理が高度化
したこともその傾向に拍車をかけているようだが、なんと言っても、最後に自分のものを加えた
時点で、作品そのものがきわめてエゴイスティックなものに転化する。それはそれで、作品の
面白さを形作るわけだから、肯定されるべきものだ。
しかしI氏は違う。最後に自分のものを加えても、エゴイスティックにはならないのだ。それは、
作品を作るプロ
セスで、裏表一体が等価なものになっていることに由来する。私がある種の快感
を覚えたのは、そのせいかもしれない。
昔のわたしなら、たちまち展覧会の交渉にいたっただろう。しかし今は展覧会の経費をどうやって
回収するかが、重要だ。売る自信や売れる見こみが難しいものは,やはりためらってしまう。
いい展覧会はしたい、しかし、、、

いい展覧会はしたし、
されど

2004.06.27

近頃Blogなるものがはやっている。日記とチャットを掛け合わせたようなもので、若者ばかりが
利用するものと思い込んでいた。で、何気なく見ていると、私の画廊のことが書いてある。ずい
ぶん気になる画廊だとかで、いろいろ検索して私の画廊のサイトにもアクセスしていただいたよ
うだ。かなりいい評価をいただいて、一度訪れてみたいと結んでいた。少しうれしくなって、思わ
ず返事を書きこんだ。
思えば自分のホームページを開いて半年あまり、大した反響もなく、そんなものだと思い込ん
でいたのだが
どっこい見る人は見ているんだなと思った。仕事柄、何事も対面の上進めるこ
とがほとんどで、パソコンはメールのやり取りとホームページの閲覧が使用目的だった。だから
パソコンを通じて対話が生まれるとは思ってもいなかった。ましてや、こちらは50半ばをすぎたお
じさんだ。パソコン世代の上限で、飲み込みもおそい。
でも道具は上手に使わねば。また勉強です。

道具は上手に使いま
しょう

2004.06.30

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