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このページは、天野画廊の画廊主・天野和夫の、きわめて個人的な出来事を綴ったものです。
画廊の仕事が、一見個人的であるにもかかわらず、社会的な機能を果たしているありさまを、
おわかりいただけるかと思います。
自他ともに、プライバシーには慎重に配慮いたしますが、うっかりと逸脱している場合は、すみ
やかにお叱りのお言葉をお願い申し上げます。                天野画廊 天野和夫

画廊主
   の
独り言
お叱りのお言葉,ご意見など
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2011年1月

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年が明けて、2011年が始まった。画廊界にも新旧交代が顕著になってきた。創業以来45年続いた大阪・信濃橋
画廊が、昨年末で幕を閉じる一方、京都五条にOOOO(オーフォー)ギャラリーなるものが誕生、学生による起業
の画廊版だ。不況で売れない美術界に、バーゲンセールもどきに殴り込みをかける。勢いあまって、OOOOは、
あの村上隆に「お前のような失敗はしない」と布告、当の村上とツイッター上で論争をくりひろげたのは有名。論争
は、結局かみ合わないまま幕切れ、事実上は村上の貫録勝ちに終わった。
このOOOOギャラリーだが、誕生したのにはそれだけの背景がある。京都は別名学生の町で、数多くの大学を抱
える。そのどれもが、数年前から学生の減少に悩まされている。美術系の大学もしかり。そして、少しでも学生を
かき集めるために、有名な講師陣をそろえ、学内にギャラリーを設置し、一般の成人クラスも準備するなど、あれ
これ手を打ってきた。だがその恩恵は、在学中のみ。卒業したも者までは、面倒見切れない。だから学生自らが
立ち上がった。自活をめざして。
だが、いまのところ、美術界はひややか。同世代のシンパは集まるものの、続けていけるかどうかは未知数。村上
が、自分の作品をみずからマネジメントすることで、美術界にカウンターパンチをくらわせたように、このOOOOも
ワンツーパンチをねらっている。年が若いだけに、必要以上に突っ張っていて、とんがっていて、荒削りなのが気に
なるが。
そういえば、その昔、三越が成功したのは、反物でしか売らなかった布を、ハギレで売り始めたのが受けたからだ
という話をきいたことがある。業界の反目を気にしていては、成功はおぼつかない。いかにニーズをうまく掴むかだ。
若い作家の作品に、それほどのニーズがあるかどうかは、別の話。

年明けて2011年

1月11日

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