2008年
2006年

このページは、天野画廊の画廊主・天野和夫の、きわめて個人的な出来事を綴ったものです。
画廊の仕事が、一見個人的であるにもかかわらず、社会的な機能を果たしているありさまを、
おわかりいただけるかと思います。
自他ともに、プライバシーには慎重に配慮いたしますが、うっかりと逸脱している場合は、すみ
やかにお叱りのお言葉をお願い申し上げます。                天野画廊 天野和夫

画廊主
   の
独り言
お叱りのお言葉,ご意見など
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2010年1月

2004年
2005年
2007年

年を取ってくると、新たなことに挑むのが面倒になってくるのは本当だ。だから、ものごとの本質に帰る
というのは、ある意味では、年を経たものの特権でもある。だから、ときには、意地悪おじさんを演じな
ければならないときがある。どのチャンネルを回しても出てくるくだらないお笑い番組は、少々行き過ぎ
だと思うが、どうだろう。年寄りのぼやきと言われようが、言うべきときには言わねばならぬ。
元日だから言うわけでもないのだが、もうとっく忘れてしまった言葉に、「真善美」がある。私自身が高
校生のときに、さんざん聞かされた言葉だ。今風に言えば、真は科学的真理、善は人としてなすべきこ
と、美は、美しいものへの追求だ。
ギリシャ時代の先人の誰が言ったのかしれないが、この「真善美」は、きっとこれからのキーワードにな
ると思う。今の世の中が、あまりにも真に傾きすぎているからだ。善はどんどん荒廃している。美にい
たっては、置いてきぼりを食っているといってよい。
べつに、ギリシャ哲学のこの命題が金科玉条だといいたいわけではない。受験勉強を無価値だと決め
付けたいわけでもない。ただ、では、何を求めて熾烈な受験戦争に参入するのか。エリートとして安定
した生活を送るためなのか?そんな幻想は、とっくに時代遅れになっているというのに。
わが大阪の橋下知事も、ちょっと理解に苦しむ。いくら支持率が高いとはいえ、府立大学の廃止あるい
は市立大学との統合問題で、学生の意見を完全に無視する態度はいかがなものか。その高慢な態度
が、民主党の小沢幹事長の前ではペコペコというよりヘロヘロになるのは、どうしてなのか。人間性を
疑う。
今一度、先人の知恵にもっと耳を傾けるべきではないか、新年を迎えてそう思った。

真善美

1月3日

2009年

私たちが、毎年大阪府立現代美術センターを会場にして開催しているgallerismという展覧会がある。その
関連イベントで、数件の画廊を見て回るギャラリーツアーも企画している。日ごろ画廊を訪れる機会がな
い人たちに、少しでも画廊に親しんでいただくための企画だ。今年からは、gallerismに出展の画廊以外に
も枠を広げて訪問する、そして年に数回、散歩や休憩にふさわしいコースも取り入れて随時実施すること
にした。
その最初の試みが、この14日にあった。最初でもあったので、本来は企画する側の私も、数件の画廊主
と関係者ともどもツアーに参加した。行く先は奈良。この冬一番の寒波のせいで、冷え込みがきつかった
が、グループで画廊めぐりをするのは、とても楽しいことだとわかった。一人でさっさと回れば、短時間で
数件見ることができるが、グループだとそうもいかない。この日は、最初に奈良町の「勇斎」を見た後、昼
食。その後は、「out of place」を訪れ、興福寺まで足を伸ばし猿沢の池を半周しておしまい。途中買い物
も楽しんだし、興福寺の宝物館も見学したが、訪れた先々のことやその他もろもろのことを、歩きながら
意見交換できたのが、とても印象的だった。一人で回ればできないことだ。
この企画、どんどん進めるべきだと、大いに思った。

ギャラリーツアーは
いいものだ


1月15日

民主党の小沢幹事長の政治資金報告書の虚偽記載問題で、とうとう逮捕者が出た。またか、と思う一方
で何か釈然としない思いが残る。それは、この問題が、政治家の汚職と直接には結びつかないからだ。
つまり民主党が野党の時代のことであり、小沢氏の職務権限が絡んだことではないのは明らか。それで
も東京地検特捜部が動く理由は、4億円という巨額の金の流れが解明されないと、社会正義が貫かれな
いかららしい。本当にそうだろうか?社会正義を振りかざすなら、その何十倍何百倍もの金が、駐留米軍
の「思いやり予算」として支出されていることは、「社会正義」といえるのか?「汚職」や「疑惑」が解明され
ないのは困るが、地検特捜部の「社会正義」だけが突出するのもいただけない。

小沢幹事長の4億円
問題と社会正義


1月16日

介護の資格を取ってただいま見習い期間中のO氏が、画廊にやってきた。このO氏、公立の中学の美術の
正教員だったが、昨年春に突然に首を切られた。生徒が減って、そのあおりを食って、勤続年数の浅い彼
が、真っ先にやられたという。派遣社員ではないから、転職先の斡旋は、まあまああったらしい。おりしも、
介護業界の人手不足もあって、おそらくは官界の誘導策でもあるのだろう、不本意ながら介護主任の資格
に挑んだ。講習を受講中も、いくらかの生活補助金のようなものが出たので、少しは助かったらしい。半年
間の講習を経て昨年秋に見事資格を手にした。が、そのあと、半年はインターン、要するに見習いが続い
ている。
O氏が、一人前になって手にする給与は17万円だという。教員のころは30万だった。一人当たりの国民所
得が1980年代には世界第3位だったのに、今は16位か17位に転落してしまったそうだが、その現実がここ
にある。

教員から介護士に
転職の結果


1月17日

中ノ島にある国立国際美術館で開催中の「絵画の庭」展を見た。美術館は通常、ある程度の評価がある
作品を並べるのが普通だが、この展覧会で並ぶ作品の数々は、今の今をあらわす作品群、言い換えれば
評価が大いに分かれる作品がほとんどだ。サブタイトルの「ゼロ年代 日本の地平から」の「ゼロ年代」とは、
2000年以降という意味であり、「日本の地平から」は、日本が世界に発信できる自信の顕れと見て取れる。
総勢28名からなる出品作家のほとんどは30代・40代の新進から中堅に向かおうとする世代に属する。中
には、30にも届かない作家もいる一方、奈良美智や草間弥生のようなベテランも含まれている。ベテラン組
が何故2000年以降のグループに入っているのか、よくわからない点もあるが、ここはひとまず、先鞭をつけ
た作家だからということにしておこう。
当然、漫画のような作品も多い。大学ノートを破いて壁面に貼り付けただけのものもある。見ていくにつれて
だんだんと言葉を失ってゆく自分がわかる。会場内で出くわす知人に、「わかる?」と問いかけるが、「わか
らん」とだけ返ってくる。
この館の建畠館長は、これからは美術館の時代だという考えの持ち主。画廊の時代は終わったという。だ
から、画廊で発表するほうが似合っていた作家たちが、この場に集められているのだともいえる。だとすれ
ば、画廊主の私は、どんな仕事が残されているのか、いささか寂しい気持ちになる。
美術館が、若い世代の作家たちを取り込んでゆくのは、増えていきつつある。予算削減のあおりで、お金を
かける展覧会ができなくなってきているからでもある。そういう意味では、美術館も受難の時代なのだ。

国際美術館の「絵画
の庭」展をみた

1月21日

本町に用事があったので、いつものように自転車で出かけるつもりが、いい天気につられて、歩いてゆくこと
にした。車で移動するときと自転車で移動するときとは、見える風景が違うが、自転車と徒歩でもまるで違う。
ゆっくり移り変わる風景から、いろんなものが目に飛び込んでくる。淀屋橋では、川底にたまる土砂を運ぶ
船と、それを引っ張るタグボートが、昔変わらぬ光景を演出している。淀屋橋を過ぎると、いつものネクタイ族
は見当たらない。手をつないで歩くカップルが、意外に多い。本町まで半分くらいにさしかかったところで、路
上ライブでもするのか、低いステージと看板、その準備を進める何人かのスタッフの姿が見えた。今日は土
曜日なのだ。
いよいよ本町が近くなったところで、同じような路上ライブの準備を見た。これは御堂筋をあげてのイベントに
違いないと思った私は、近くによって、置いてあるチラシを一枚手に取った。「御堂筋ミュージック・ラバーズ・
ストリート」と書いてある。夕方にはライトアップする御堂筋に歩調を合わせた企画だったのだ。少しだけ違う
御堂筋の雰囲気に、いささか気分が弾んだ。 

歩いて見た風景

1月30日

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