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2006年1月



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お叱りのお言葉,ご意見など
画廊主
   の
独り言

このページは、天野画廊の画廊主・天野和夫の、きわめて個人的な出来事を綴ったものです。
画廊の仕事が、一見個人的であるにもかかわらず、社会的な機能を果たしているありさまを、
おわかりいただけるかと思います。
自他ともに、プライバシーには慎重に配慮いたしますが、うっかりと逸脱している場合は、すみ
やかにお叱りのお言葉をお願い申し上げます。                天野画廊 天野和夫

11月分
12月分
10月分

新しい年が始まった。景気は回復傾向がはっきりしてきて、もはやバブルとさえ言う人がいる。
バブルはインフレの延長にあるものだから、今がバブルにあたらないのは当然だが、ネット経由
の取引が株の売買に大きな影響を与えているのが、一昔前とはまったく違う。
さて、新年を迎えて気になる事がある。隣国の中国と韓国に対する外交が停滞している。靖国
参拝などの、隣国を刺激するような小泉首相の行動が主要な原因だが、国民の高い支持率が
首相を勇気付けて一歩も引かない様子を見せている。だがその高い支持率は、自民党の旧勢
力に果敢に挑む首相に対するエールのようなもので、靖国参拝を容認する意味では決してない。
権力者の常として、高い支持率を隠れ蓑に使っているに過ぎない。
一方、高い経済成長率を誇る中国は、その経済力を背景に、したたかな外交姿勢を崩さない。韓
国もまた、北朝鮮との統合を視野に、独自の路線を強めている。いわば、三者三様それぞれの
ナショナリズムが外交の進展を阻んでいる。その裏で、経済的なつながりは反比例して、強くな
っている。そのアンバランスが、とても気になるところだ。
大局的な見地から、アジア市場の確立には、日韓中の更なる結束が不可欠なのは、当然のよう
に言われているが、それぞれの家の事情がそれをなかなか許さない。だが、そうこうしていると欧
米の市場が利益を得ることを、忘れてはならない。もう一回りおおきなスケールの政治家が出て
くれないものだろうか?

年頭に思う

2006年1月5日

大阪の人間でありながら、知っていても中に入った事のないスポットは多い。大阪城も天守閣まで
上ったのは数えるほどで、外国からのお客様と一緒だったのがほとんどだ。昨日サンフランシスコ
から友人がやってきた。さて、大阪がはじめてのこのお客様に、大阪らしいところと言われて、それ
なら通天閣と言っては見たものの、下から見上げるばかりで、上まであがった事はない。てなわけ
で、この際同伴して上まであがってみた。高さだけならもっと高いビルは山ほどある。売りはやはり
ビリケンさんだ。ここの守護神とばかりに鎮座ましていらっしゃった。なんのご利益があるのか知ら
ないが、みんなが触るので、全身黒光りしている。特に投げ出した2本の足の裏は、何百万という
観光客の指先の圧力で
無残にも深くえぐられていた。足の裏をめがけてこすってゆく客を、にん
まりとした笑顔でこらえるビリケンは、たしかに不可解な存在だ。しかもこれがなんとメイド・イン・U
SAというから、なおさら不可解。大阪人のきわもの好きここにきわまれりといったところだろうか。
USAなら、このサンフランシスコからの友人はご存知かとおもいきや、NOの一言。そりゃそうだろう
アメリカは広い。日ごろ美術品を扱う私でさえ、このビリケンさんの作者が、アメリカの彫刻家だと
は知らなかったし、案内板に書いてあった作者の名前も今は思い出せない。でも、えびす様も海
外からきた神様だし、古くは仁王様もギリシャから来られたそうだし、日本人の寛容さだと思えば
まあめでたい事だ。
サンフランシスコからのお客様は、そんなことに無関心で、360度のパノラマにご満悦だった。

通天閣初体験

2006年1月7日

サンフランシスコからのお客様は、ミドルマンという陶芸家で、ユダヤ系のアメリカ人。父母が
ヨーロッパに住んでいたせいか、きれいな英語をはなす。われわれ日本人にはわかりやすい。
話し好きで
よくしゃべる。アメリカ人にしては温厚なほうだ。陶芸をはじめてまだ10年に満たな
いと言うが、ひょんなことでお母さんの話題になった。
お母さんは戦前ハンガリーに住んでいたユダヤ人で、戦火の拡大に伴い、わずか13歳で単身
イギリスに逃れていった。だがそう多くない所持金を、ロンドンで盗まれ、途方にくれたという。
「それでどうなった?」と聞く私に、彼は同じユダヤ人仲間が助けてくれたと言う。そうか、やはり
ユダヤ人社会は団結力が強いのだ。で、彼自身が陶芸をはじめた理由も聞いてみた。もともと
エンジニアで、仕事の関係でたびたび東京に来ていたらしいが、やがて仕事のパートナーが独
立して新しい会社を起こした。折からの好景気で、その会社はたちまち大きくなり、アメリカでは
日常茶飯事の企業買収を繰り返し、大企業へと成長したと言う。そのパートナーが、人材不足を
補うために、何度も彼に声をかけてきた。だが、マネーゲームで大きくなり企業実績が伴わない
状況に不安を感じた彼は、自分自身の生活をも含めて、全部清算する事にしたという。誘いを
断った彼に、そのパートナーはきっと「君は人生の大きなチャンスを逃がした。」と言っただろうと
差し向けると、「そのとおり!」と彼は言った。「で、その後は?」と聞いてみると、「数年後にその
会社は破産した。」という答え。「結局あなたの選択が正しかったのだ。」と私は締めくくった。
純粋に経済的な理由だけでなく、芸術を愛さないそのパートナーとの付き合いに限界を感じたこ
とが大きな理由だったとも言った。
アメリカ流のプラグマティズム(実利主義)の中で、こんな人もいるのだと感心した。
さて、そのミドルマンが、今日大阪を発つ。飛行機は午後4時だから、午前中にまだ時間の余裕
がある。限られた時間に、残された大阪を味わってもらいたい。
まずは美術のくくりで、中之島の国立国際美術館へ。その後川沿いに散歩しながら、大いに話を
交わし、なんとなく淀屋橋まで来てしまった。そうだ適塾がある。医学界のパイオニア・緒方洪庵
の学校があったところだ。ずっと大阪にいて、今まで一度も中に入った事はなかった。
果たして、予想以上に私の興味を満足させてくれた。もっと早く来てればよかったとも思った。
その詳細は別の日に譲る事として、ミドルマンもこの建物の持つ150年の意味に、感じ入ってい
た。時間の尺度が、自身のルーツに重なるからなのだろう
翻って私は、この時代にかくも広い
視野を持っていた洪庵とその塾生に敬意を払った。先進のオランダ医学を我が物にすべく、日本
全国津々裏々から600余名が自らの足でここに集ったのだから。

適塾初体験

2006年1月8日

黒光りするビリケンさん
深くえぐれた足の裏が
痛々しい

顔の表情はとてもか
わいいとはいえないが
人々は撫でてゆく。

中央公会堂から北へ橋を渡ったところに寒椿がこんもりと茂みのようになっている。連日の寒さ
にもめげず、今が盛りと赤い花をつけている。近頃は温室育ちの花が、どこにでも見られて、季
節感がなくなってしまった。しかしこの寒椿は、地面にしっかりと根付いて、雨や風、そしてまれ
にはうっすら雪をかぶっても、時期がくればきれいな花を咲かせる。川向こうのバラ園の数々の
華やかなバラには及びもつかないが、真紅の花がとてもかわいい。11月ごろからちらほら咲き
はじめ、けっこう春先までの長い間花をつける。歩行者信号が青に変わるまでの、ささやかな楽
しみだ。

寒椿がかわいい

2006年1月11日

京都は大阪からさほど遠くないのだが、なかなか行く機会がない。大学時代の4年間を過ごした
割には、私自身にはいまだに馴染めない土地だ。理由については別の機会に譲るとして、いくつ
かの用事がたまったので、重い腰をあげ昼から京都に出かけた。
古くからの染色家の知人が日展に出品しているというので、京都市美術館に向かった。入り口で
産経新聞の美術記者にばったりと会った。意外な顔をされたが、たしかに現代美術を扱う私の画
廊と日展とは、そりが合うわけではない。私は知人の作品だけを見にきたのだ。
会期最終日にもかかわらず、観客でにぎわっていたが、目指す染色部門へと急いだ。作品はすぐ
に見つかった。あらかじめ写真で見ていたが、はたして実際の作品は物足りなさを感じた。照明が
悪いせいかもしれない。だが数年前に同じ会場でみた彼女の作品は、もっと生き生きしていた。日
展という器がかかえている問題に、大きな理由があるとみた。出口まで進む間に、雑然と並んだほ
かの作品が目に入った。残念ながらどれも化石のように死んでいるように見えた。こんなときの入
場料¥1,000はとても重く痛い。
気をとりなして、蹴上げの画廊に向かった。やはり知人が個展をしている。やや難解な作品だが、
十分生き生きしていた。ついで、陶芸家の知人の個展を見た。作品だけでなくディスプレイにも十
分個性を感じた。会場に流れる音楽も、彼のセレクトによるもので、小さな画廊ながらトータルな味
わいを楽しめた。気分が良くなったついでに、お酒を勧められ、すっかり落ち着いてしまったが、実
はあと一軒顔を出さねばならないところがあった。
最後の待ち合わせは、四条高島屋。だが待ち合わせの主は、すでにそこを離れていた。夕方行
けば十分と思っていたのだが、お互いの思い違いがあったのだろう。係員の「その方は昼過ぎに
お帰りになりました。」と言う言葉に唖然とした私は、携帯に電話をする気も失せて、真っ白な頭
で、京阪電車に乗った。やはり京都は鬼門だ。

京都にて

2006年1月15日

耐震強度偽装事件で渦中のヒューザー・小島社長の国会喚問中継を、昨日見た。数十回にも
上る証言拒否は、普段饒舌なこの人のイメージからは、天と地ほどの開きがあったが、偽証罪
というおまけが控えているとなると、慎重にならざるを得ないのはわかるとして、さていったいそれ
は、この人が自分だけの保身を考えてそうしたのだろうかというと、はなはだ疑問。50過ぎという
この人の年齢を考えると、罪を認めみそぎを済ました後の復帰を考えているに違いない。そのとき
こそ、今回かばい立てしている政治家が役立つのだ。今はひたすら耐えて恩を売るとき、そう考え
ているようにみえた。この人の言動には、すり替えやごまかしが多々あって、自分を被害者と強弁
する事でこの日まで何とかしのいできたが、もうその戦術も先が見えてきた。偽証罪であろうが何
であろうが一手に自分が引き受けて、貸しを作っておく。そんな戦術に乗り換えたと見た。
もとよりこの人には、迷惑をかけた人々に謝罪すると言う意識がまるでない。今回の一連の事件
は、いわば悪徳商法だ。悪徳商法は金の流れの行き着くところに悪の張本人がいる。

国会喚問を見て

2006年1月18日

1月23日夜に、ライブドアの堀江貴文社長以下4名の幹部が東京地検特捜部に逮捕された。前の
週に家宅捜索を受けてからあまりにも早い逮捕にビックリしたが, 株式市場に与える影響を最小限
に食い止めるための策であったらしい。
資本金600万円でスタートし、わずか10年ほどでIT産業の成功者とされた堀江社長だったが、若い
世代の中には、その起業家精神に感銘を受けた人も多い。だがその裏では、限りなくクロに近い
手法で、自社株の時価総額を膨らませてきたらしい。その事実を知らずにライブドアに投資した
一般投資家は、これで大損をしたに違いない。
私自身は株に興味がないし、別段損害をこうむったわけではない。しかし敵対的買収を繰り返し
見せかけの資産をふやすその巧妙な手法には、言いようのない後味の悪さを感じるのは私だけ
ではないだろう。資本主義のルールにのっとって法律ぎりぎりの事をすれば濡れ手に泡のごとく
巨額の金が手に入るのなら、もともとそのルールに欠陥があるのではないか。折しも、ライブドア
の肥大化は、長い不況下のデフレから抜け出すために政府が採った経済改革路線と軌を一にし
ている。緩めすぎた手綱で馬が暴走するようなものだ。だとすれば政府の責任は重い。
この種の経済犯罪は、からくりが巧妙なだけに、庶民にはぴんと来ない事が多い。要はマネー
ゲームで、企業実績が伴わない事に原因がある。自作自演の演出で錬金術をたくらむのは、ニセ
金造りに等しい。その時、張本人はニセ金をばら撒いて裏でしっかり本物の金を蓄える。そういえば
某国はニセドルを印刷してマカオで本もののドルに換えて溜め込んでいたという。

ライブドア事件

2006年1月25日

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