2006年1-12月分

このページは、天野画廊の画廊主・天野和夫の、きわめて個人的な出来事を綴ったものです。
画廊の仕事が、一見個人的であるにもかかわらず、社会的な機能を果たしているありさまを、
おわかりいただけるかと思います。
自他ともに、プライバシーには慎重に配慮いたしますが、うっかりと逸脱している場合は、すみ
やかにお叱りのお言葉をお願い申し上げます。                天野画廊 天野和夫

画廊主
   の
独り言
お叱りのお言葉,ご意見など
トップページに戻る


2007年1月

2004年6-12月分
2005年1-12月分

年頭にあたって、日本の政治について一言書こうと思った。あまりにも首相の存在がかすんで
見えないからだ。いざキーをたたき始め、すぐに止まってしまった。なんと首相の名前が出て
こないのだ。えっと・・・・・小泉の次の・・・・。名前が出ないのは、私の老いのせいではない。小
泉の名前はしっかりおぼえているのだから。そう、安部、いや安倍だった。政界のサラブレッド
らしいが、このひと, 昨年秋に就任して以来、どんどん影が薄くなる。そのくせどこからか、増
税や消費税率のアップ、憲法改正など、怖い話がとびだしてくる。この種の話は、役所の情報
公開と同じく、必ず情報元が墨で塗りつぶされている。
その一方、埒問題は中国に主導権を握られ、イラクに派遣している自衛隊の引き上げは、ブッ
シュの胸ひとつ。国連に世界最高の負担金を納めながら、発言権はまったくない。なんという
国なのだろう。この閉塞感は、安易に英雄待望論に結びつくので、大変危険なのだけれども、
ただただ本当に有能な政治家の出現を願うのは、私一人なのだろうか。

新年早々愚痴一つ

1月5日

自民党の山崎拓氏が、昨日北朝鮮に向けて出発した。ニュースを聞いて正直驚いた。何を
しに行くのだろうと思った。もちろん埒問題も6カ国協議も進展しない中で、何らかの提案を
するに違いないのだが、はたして今がそのタイミングなのだろうかという意味だ。
ごく単純に考えて、対話をボールのやり取りにたとえれば、いまボールを持っているのは、
北朝鮮だ。なかなかボールを返してこないのは、向こうの事情であって、こちらから出向い
て行く筋合いのものではない。ましてや何か新たな提案をするとすれば、競技に2個目の
ボールが登場するわけで、明らかにこれはルール違反だ。
金正日政権との交渉は、巧妙な駆け引きが裏にあって、一筋縄でいかないことぐらい、山崎
氏がわからないはずはない。小泉前首相が電撃的に訪朝して、埒問題が進展したといって
も、結局はトカゲの尻尾きりで、残された問題のほうがはるかに多い。だが北はこれで問題
が片付いたとして、以後の交渉には一切応じないばかりか、逆に日本政府への非難を強め
ている。だが、実際には、経済制裁のおかげで、金正日政権の資金パイプは寸断されてし
まった。金正日には、山崎氏が救いの神に映っているはずだ。埒問題のおかげで棚上げに
されていた日朝国交正常化の話が、少しでも山崎氏の口から出ることを、彼はてぐすね引い
て待っている。罠にはまると、取り返しがつかなくなる。

山崎拓氏なぜ北朝鮮へ?

1月9日

昨日、防衛庁が防衛省に昇格した。寝耳に水だったので、事実関係を確かめようと、ウエブ
サイトのWikipediaで検索したら、早速次のような説明が出ていた。「昨年政府部内において
庁から省への昇格の議論が本格化し、省への昇格を盛り込んだ防衛省設置法や自衛隊法の
改正案が、11月30日には衆議院で、12月15日には参議院で、それぞれ自民・公明・民主・国民
新などの賛成多数で可決・成立した。」

正直、背筋が凍る思いがした。これで自衛隊のイラクへの派遣が、法律的にも強い根拠をもつ
ことになる。そして、国の防衛とは裏腹に、海外に派遣されることがもっと頻繁になるだろう。当
然のことながら、防衛費の予算が膨らんでゆく。イラクに手足をとられて、北朝鮮に手薄なアメ
リカには、格好の補完材料だ。一番喜んでいるのはブッシュかもしれない。

中国のここ数年の軍備増強がはなはだしい。経済成長の拡大に合わせて軍備の質・量を高め
ている。まるで清朝の衰退以来の穴を埋め、再びアジアの覇権を狙っているかのようだ。キッシ
ンジャー氏が某テレビのインタビューで、日本の軍備拡充は加速すると言っていたのを思い出
す。北朝鮮も加えて、アジアで再び軍事的緊張が高まるのは、避けられないのだろうか?

久間章生
初代防衛大臣

防衛庁が防衛省に

1月10日

ブッシュ大統領が、イラクへ2万1500人にのぼる米兵の増派を決めた。イラクの民政の安定
化を促進するための一時的増派がその理由とされるが、本当に一時的なもので終わるのか、
保証はない。そればかりか、どんどん泥沼に足を突っ込むことになりそうで、先の選挙で勝利
した民主党は大反対をしている。
思い出すのはベトナム戦争。私が高校生のころ、アメリカは、当時の南ベトナムの民主主義を
守るという大義名分で何十万人もの兵士をベトナムに送りこんだ。だが結果は惨敗。史上空前
と言われるほど大量に撒かれた枯葉剤で、国土は荒れ、ガンが多発、奇形児の出産もあいつ
いだ。一方アメリカ側も、帰還した兵士の多くが精神病に冒され、手足を失った。ベトナム戦争
はアメリカの歴史始まって以来の最大の汚点であった。
ブッシュはその歴史をもう一度繰り返そうとしているのか。
大勝負をかけて形勢逆転をねらうのは、ギャンブルの話。ブッシュはテーブルに座ってカード
を切るだけだが、戦地に送られる兵士はたまったものではない。

なぜイラクに増派

1月12日

菜の花が咲き始める

1月13日

新年早々いやな話が
続いたので、ここらで
ちょっと一息。
我が家の隣が空き地
になって久しいが、
暖冬のせいか、菜の
花が咲き始めた。
たくさんのつぼみを
つけているので、当分
楽しめそうだ。

タレントのそのまんま東が、宮崎県知事に当選した。競馬で言えば大穴。お笑い芸人といっても
大学を卒業しているので、きちんとした信念をもっているという人もいるが、私はあまり信用したく
ない。かといって、自民党から出た官僚あがりの人間が良かったかというと、それもいやだ。宮崎
県の有権者も、大なり小なり同じことを考えていたのだろう。
タレント知事ということで、わが町のかつての横山ノック大阪府知事を思い出した。タレントは庶民
の気持ちをつかむのがうまい。横山ノックも、選挙活動の時には、自転車にのぼりをたてて路地裏
を駆けめぐった。だが当時、ほとんどゴーサイン寸前まで行っていた現代美術館構想は、横山知
事のツルの一言で、あえなく葬り去られた。おかげで大阪は、全国でも指折りの「文化果つる地」
になってしまった。
辞任のきっかけになった事件も、セクハラという実におそまつな出来事だった。最後には報道陣に
むかって、「君たちは大阪府知事を何だとおもっているんだ!!」と居直って見せたが、もはや勝
負は見えていた。実に見苦しい恥ずべき引き際だった。
そのまんま東様、どうか横山ノックの二の舞にはなりませんように、精進してください。

そのまんま東が知事に
当選

1月22日

江之子島の旧府庁舎を
見に行った

1月27

もとは外国人居留地であったという江之子島。そこに大阪府が初代の庁舎を建てた。1874年の
ことだった。以後1926年まで、ここは大阪府庁だった。その建物が今も残っている。今は写真の
ように鉄の塀に囲まれ、その総面積は1.7ヘクタールあるという。府は財政難で50億ほどで民間
に売却するらしい。近くこの建物以外は、取り壊しがはじまるという。

建物は4階建て。塀のせいで1階部分はよく見えない。外装はタイル張り。茶系でまとめており、曲線と直線の組み合わせ
とともに、当時のモダニズムの片鱗がうかがわれる。外から見るだけなので、建物のサイズはよくわからないが、おおよそ
左側の奥行きが15メートル、右側が20メートルくらいだろうか。決して大きなものではない。最上階のバルコニーは、知事
が演説でもするのに、ぴったりの感じだ。

向かって左の壁面は、変化に乏しい。

向かって右の壁面は、陽気な感じがする。バルコニーが
とても長い。ここで知事以下、助役、収入役など勢ぞろい
したのだろうか。

後ろの部分は、ぷつんと
切れた感じ。3つ目の窓
は、あとで隣接するビル
への連絡通路用に改修
されたのかも知れない。
じっと見ると、たしかに
かなり老朽化しているの
がわかる。

なんとかもっとよく見えるようにとポイントを探して、木津川にかかる橋まで来たが、逆に周囲の
ビルに沈んでしまって、余計に見えなくなった。ここは阿波座の西、歩いて10分弱。都心で最後
で最大の遊休地だ。この橋には地下鉄中央線が走っている。今のままだと、この旧庁舎は、初
代という重みを背負ったまま、生き恥をさらすようなもの。何とかならないものだろうか。1時間半
の散策の間、そう考えていた。

2007年2月分
5月分
3月分
4月分
6月分
7月分
8月分
9月分
10月分
11月分
12月分
inserted by FC2 system