2006年1-12月分

このページは、天野画廊の画廊主・天野和夫の、きわめて個人的な出来事を綴ったものです。
画廊の仕事が、一見個人的であるにもかかわらず、社会的な機能を果たしているありさまを、
おわかりいただけるかと思います。
自他ともに、プライバシーには慎重に配慮いたしますが、うっかりと逸脱している場合は、すみ
やかにお叱りのお言葉をお願い申し上げます。                天野画廊 天野和夫

画廊主
   の
独り言
お叱りのお言葉,ご意見など
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2007年4月

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2007年1月分
2月分
3月分

中国のチンタオ国際アートフェスティバルが終わって、日本の出品作家と一緒に帰ってきた。
コミッショナーとして作家の推薦をひきうけたものの、詳細な情報のないまま、行ったのだが、
あまりにも想像と違うものだった。事実上の主催者が韓国人であることは、出かける前からわ
かっていたが、行ってみてそのなぞが解けた。主催者の率いる組織が、そのままチンタオに
招聘されたのだ。受け入れたのは、チンタオ市あげてのプロジェクトである、アクセサリー専門
の超大型国際マーケット。このたび業者相手の卸売り市場として巨大な建物がオープンした。
大阪南港のATCの数倍の規模がある。そのオープニングのイベントとして、この展覧会が、ま
るごと招聘されたのだ。
なぞが解ければ、こちらの対処も、おのずと落ち着くところに落ち着く。規模は巨大でも、この
種のイベントは、質は期待できない。そこで興味は、チンタオ見物に移る。
チンタオ観光のあれこれは別に書くとして、驚いたのは、チンタオでは韓国語がよく通じること
だった。朝鮮半島に近いだけに、韓国との取引は、かなりの量になることが背景にあるようだ。
中国語を知らない私には、私の韓国語が大いに役立った。

チンタオから帰国

4月1日

チンタオは人口700万人だというから、大阪より大きな都市だ。でも、画廊はない。正確に言うと、
今、市内に40−50軒規模の画廊街を立ち上げようとしている。しかし、メインは中国画と陶磁器
で、いわゆる現代美術を扱う画廊の数は?マークだ。世界的なスタンダードからは著しく遅れて
いる。だが、この国は、今その能力の最高速度で走りつづけている国だから、まるで早いコマ送り
の映像を見るように、どんどん変貌し、数年後には中国有数のアートマーケットに育つ可能性も
ある。だが、すべてそれは可能性の話で、本当のところは誰にもわからない。
20年前の韓国は、ソウルオリンピックを控えて、自らの能力の最高速度で突っ走り、瞬く間に都
市基盤を整備した。今のチンタオがまさにそうだといっていい。だが、韓国と明らかに違うのは、
土地がすべて国有だから、決断から完成までが驚くほど早い。ここ当分は、チンタオにとって、韓
国がお手本だが、数年後には、違う都市・国がお手本にされることは想像に難くない。そのとき、
日本がリーダーシップを取れるかどうか、誰にもわからない。

チンタオの変貌の
先にあるもの

4月2日

建物が見えないほどの垂れ幕が並ぶ

市場の風景
カメラに収めた市場の風景は、昔ながら
の風景で、変貌するチンタオとは対照的。
このような風景も、いつまで見れるのかは
わからない。

活躍するオート三輪
日本で姿を消したオート三輪が、今でも
現役で活躍する。

市場は有料、道路わきは無料
時には市場の周りの道路のほうが
にぎわう。出店料がいらないせいだ
ろうか。

お好み焼きのようなものを売る人
自転車に全部つんで商いをしている。
20−30円くらいで食べられるので、注文
しようとしたが、私の仲間に止められた。
帰国直前におなかを壊しては、という配
慮だった。

広い公認市場は、まばら。
市場全体はとてつもなく大きい。今日は
本格的な市がたつ以外の日だそうで、
賑わいが少ない。

中国の豆腐屋さん
水を張った水槽はない。大きなものを注文
サイズに切って売る。中央に積み上げてあ
るのは、豆腐の皮。湯葉のようなもので、家
庭料理の材料。私がよく行く老松町内の中
華料理店には、このメニューがある。

市場周辺の常設店舗
食堂あり、インテリアショップあり、電気屋
あり。市場の客を当てこんだ常設店舗だが
この町並は、今度訪れたときにも残っている
だろうか。

広島で行われている地域密着型アートイベント「旧中工場アートプロジェクト」を見に行った。会
場は3つに分かれていて、市南部の旧ごみ処理場と平和記念公園に近い日銀の旧広島支店、
それに、その中間の吉島地区の町並みの中。総合ディレクターは柳幸典氏。柳氏は2年前に、
広島大学芸術学部助教授に就任。第45回ベニスビエンナーレで高い評価を得た、国際的な現
代美術作家だが、一方で、移動型のアートイベントも数多く試みている。今回のイベントにも、
キューレーターと作家の両方の顔をのぞかせている。
時間的な制約もあったので、ごみ処理場と、日銀の旧広島支店の2箇所を回った。
ごみ処理場は、巨大な空間の中に、ごみとみまちがえるほどの小さな作品が点在していた。ご
みのような作品が、ごみ処理場にあるのだから、これほどの洒落はない。かくして、鑑賞に訪れ
た人には、ごみと作品を峻別する手立てとして、虫眼鏡と双眼鏡を一人ずつ手渡される。例えば
私の画廊でも個展をした瀬戸理恵子の作品は、使用済みのティーバッグ数個が、スラグ(ごみ
処理で残って燃えカスで、一見石炭のように見える。)の上に無造作に捨てられた状態(これを
インスタレーションと呼べるかどうかはかなり微妙)にある。だが、そのティーバッグは、ぬれた
ままではなくて、乾燥して丸められ、まるでヤギの糞のように見える。乾燥して丸められることで
スラグと共存する必然性がでるのだ。また、白いクモの糸のようなものが、十数本、高い天井か
ら床まで届いていた。これはその素材が、人間の白髪であることがわかって初めて作品と認識
される。ごみの末路のスラグに対して、黒髪の末路の白髪。しかしながら、ただ堆積するスラグ
に対して、白髪の柱は垂直に伸びることで、人の尊厳への敬意が読み取れる。柳幸典のコン
セプトが十分に読み取れる展覧会だった。

広島の地域密着型
アートイベントを見た
その@

4月9日

会場の旧ごみ処理場

日銀の旧広島支店の会場を見た。こちらの展覧会はは、「金庫室のゲルトシャイサー」という
タイトルがついている。ゲルトシャイサーは、尻から金をひりだすという、ヨーロッパ中世の想像
上の怪物。この怪物に錬金術を託すには、人間の何か大切なものを与えなくてはならない。は
たしてアートがその対価になりうるかという、きびしい自己反省がこの展覧会の基底にある。
爆心地からわずか380mのこの建物の地下金庫室に眠っていた貨幣などは、町が一瞬に消滅
したにもかかわらず、無傷で残っていたという。
貨幣が国家権力そのものであり、この建物がそのための堅牢な砦であった事実は、あまりにも
明らかで、展示作品のほとんどが、その皮相な事実から踏み出していなかったのは、とても残念
だった。その意味では、巨大な紙幣を転写したプラスチックケースに、アリの巣を作らせ、時間の
経過とともに紙幣のイメージが崩れてゆくという、柳幸典氏自身の作品は、十分な存在感があっ
たし、豊嶋康子の膨大なキャッシュカードのコレクションは、プラスチック・マネーに対する痛烈な
風刺がうかがえて、この場所でこそという説得力があった。キャッシュカードは大切なものだが、
ゲルトシャイサーの好物ではないのだ。
アメリカ軍によって投下された原爆だが、無傷の地下金庫の厚い扉には、ニューヨークの某社の
製造刻印があった。

広島の地域密着型
アートイベントを見た
そのA

4月11日

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