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2006年7月



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お叱りのお言葉,ご意見など
画廊主
   の
独り言

このページは、天野画廊の画廊主・天野和夫の、きわめて個人的な出来事を綴ったものです。
画廊の仕事が、一見個人的であるにもかかわらず、社会的な機能を果たしているありさまを、
おわかりいただけるかと思います。
自他ともに、プライバシーには慎重に配慮いたしますが、うっかりと逸脱している場合は、すみ
やかにお叱りのお言葉をお願い申し上げます。                天野画廊 天野和夫

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2006年1月分
2月分
3月分
6月分

子供の頃に北朝鮮に拉致された韓国人キム・ヨンナムが、韓国人の母と対面した。ヨンナムは
涙ひとつ流さなかった。会見で横田めぐみさんのことをきかれても、病死とするだけで、涙を見
せなかった。喜怒哀楽の表現が派手な朝鮮半島の人間らしからぬ行動だった。あるいは、工作
員という立場を押し通さなければならないことを自覚した上での演出なのだろうか。
案の定めぐみさんは病死だったと「夫」の口から証言された。長女は、数年前の会見では母親の
思い出をいろいろと語っていたが、今回は「何も覚えていない」と大きく後退した。北朝鮮当局が
書いた筋書き通りに演じているのは当然だが、なぞはますます深まるばかりで、新しい発見は何
もない。こんな茶番劇を演出する一方、テポドンの発射準備をすすめるキム・ジョンイルの頭の
中はいったいどうなっているのだろう。政権末期のあがきとしか言いようがない。

茶番劇の対面

7月1日

とうとうやってしまった。連続して7発、一説には10発は発射していると言う。また明日以降も発射
の可能性があると言う。もはや単発で成功したとかしなかったとかの問題ではない。実戦を想定
した訓練の様相もある。あるいは、イランやアルカイダ向けのプロモーションだろうか。北朝鮮当
局の公式声明がまだなので憶測が飛び交っている。ただいえるのは、国際社会からますます相
手にされなくなる。同胞の韓国でさえもノ・ムヒョン政権には大きな痛手だ。子供じみた危険な火
遊びとしか言いようがない。
この問題をめぐって、早くも親北朝鮮・反北朝鮮の図式が鮮明になっている。中国とロシアは遺憾
の表明だけだ。国連の非難決議にも、採決ではなく議長声明に留めるべきと言う。北朝鮮には想
定済みの事だが、この国の行方には、過去も含めて複雑なものがある。
正直なところ、北朝鮮にとって、大国である中国・ロシアは、今のところ後ろ盾だが、いつまでも見
方であるとは信じていない。だからこそイランやアルカイダとも取引し、麻薬やニセドルにも手を出
して、汚い金を稼いでいる。まるでヤクザのようなこの論理に拍手を贈る人もいる。だがその陰で、
被害をこうむる人が多数いる。前時代的な英雄主義で、とっくに破産している事を金正日は知るべ
きだ。
もうこの国の制裁をどうのこうの言う段階は過ぎたと思う。政権崩壊後の受け皿をどのように作る
か話し合うべき段階に来ているのではないか。

テポドン発射

7月5日

アスレチックジムの閉鎖

7月10日

京阪寝屋川市駅の近くに、面白い看板のあるアスレチックジムがある。決して大きいとは言えな
いが、個人営業でビルごと自分の持ち物だ。オープンしてから20年以上はたつだろうか。見慣れ
た風景の中にあると、出来た年を思い出せない。
朝早くに、小柄なおじさんが散歩するのに出会うことが良くあった。ある日そのおじさんが、この
建物に入っていった。ジムに通う人に見えた。よく見ると手ぶらで、しかも上半身は黒いランニン
グシャツ姿。ああ違うんだ、この人が経営者=塾長なのだ。
それ以来、挨拶こそしないが、このジムが身近に感じられるようになった。面白い看板がかかって
いて、玄関のすぐ上に、「NO PAIN NO GAIN」と書いてあった。「苦なくして楽なし」というところか。
最近になって、この小柄な塾長を見かけなくなった。
やがて、入り口に、「まちの不動産屋さん」の看板が立った。
経営が行き詰まったのか、年老いて引退したのか、定かではない。ただ、4,5年前から、200m位
のところに、NTTのビルを譲り受けた民間会社が、スポーツクラブをはじめた。きっと食われてしま
ったのだ。

カラスの行水

7月12日

小さい頃、お風呂で「カラスの行水はあかん、首までよくつかりなさい。」と言われた。カラスの行水の
意味がわからなくて聞きかえすと、「さっとつかってすぐあがる横着者のことや」と聞かされた。それ
以来、カラスの行水が実際どんなものか見る機会がなかった。はたせるかな人生59年の今日、は
じめてカラスの行水を見た。場所は京都法然院の庭園。涌き水をひいた小さな池のほとりに黒艶
やかなカラスが一羽、水面を覗き込んでいた。今から思えば、獲物をさがしていたのではなく、浅瀬
かどうかを見計らっていたのだろう。首を傾げて周囲を見終わるやいなや、ざぶんと飛び込み、左
右に体を揺すること3回。水浴びがおわると傍らの茂みに姿を消した。
確かに素早かったが、小鳥の水浴びと大差なかった。なぜ「小鳥の行水」ではダメなのか、どなたか
識者のご意見をお聞かせいただきたいと思います。

打ち合わせをしていると、突然相手の若い作家が、「いろいろ言われるとテンションが下がる」と言い
だした。「場所だけくれたら、後は好きな事をやりたい」とも言った。
相手は、箱型バンの荷室をギャラリー風に改造して、ゲリラ的に各地を転々と移動するグループ。
私も昨年、大阪の堀江の公園のそばに停車しているのを見たことがある。若者らしい意外性に賭け
る姿勢に、好感が持てた。
そのグループを、私たちが毎年秋に開催する画廊の合同展の関連イベントとして迎え入れようかと
いう提案をうけて、2回目の打ち合わせをしているときだった。彼らの企画書の内容を2,3質問して
いる時に、「いろいろ言われると・・・」と言い出したのだ。私は彼らの企画書にケチをつけたわけでも
ないし、むしろ本展とイベントが補完関係にあることを理解してもらおうと説明を続けたのだが、これ
がまたいけなかった。私の言葉に「テンションが下がる」と、またもや言われた。さすがにムッときた
が、このままでは他のメンバーの同意が得られない事を理由に、お引取りを願った。
半年以上持ち続けていた、このグループに対する好感は、これであっけなく消えてしまった。
翌日の今日、そのグループの連中よりは2つ3つ年上の、まだ若い作家が画廊に遊びに来たので
この話をしてみた。「テンションが下がる」なんて、仲間内に使う言葉であって、他人に使う言葉じゃ
ない、と彼女は言った。「私なら、そういうお前のテンションって、何ぼのもんじゃ!といってケンカす
る」と続けた。「テンション」の言葉ひとつで、私以上に興奮していた。
話は単純だ。仲間内で知らず知らず使っている言葉を他人に使うと、摩擦が起こる。そして、自分の
信念を曲げる必要はないが、他人の意見は聞いたほうがいい。

テンションが下がる?

7月15日

7月20日を過ぎてもまだ梅雨が明けない。例年なら、梅雨明けと同時に、セミがいっせいに鳴きはじ
めるが、今年はちょっと待ちぼうけを食わされた様子。それでも何とか羽化にこぎつけたセミもいる。
このセミは、泥まみれのまま羽化したらしい。しかも回りに木がなくて、なんと金網のフェンスにしが
みついている。よほどの慌て者に見える。

慌て者のセミ

7月22日

三重県亀山市にある、かめやま美術館を訪ねるのに、ローカル電車を乗り継いでいった。京橋から
学研都市線に乗って木津へ、そこから大和路快速に乗り換え加茂まで行く。さらに加茂で関西線に
乗って亀山までという路線。乗り換えの手順は、パソコンが答えてくれるので、昔のように時刻表を
何回もめくる必要がない。
さて加茂までは、普通の郊外電車だったが、それからが一変した。1両だけのディーゼル車で、しか
も単線。梅雨時の線路脇は夏草が生い茂り、電車は左右に肩を揺らしながら、草を掻き分けて進ん
でゆく。スリル満点だ。平行して近鉄が走っている。そちらは高架の複線で当然電化済み。駅舎も
コンクリート造りのりっぱなもの。この差はどこからくるのだろう?

ローカル電車の小旅行

7月20日

今年も天神祭りの日がやってきた。時代装束の行列が、私の画廊のすぐ近くを通る。型通りの
お祭りだから、特筆すべき事はないが、昨年、一昨年とこのページに記述がないので、載せて
おく。今年はまだ梅雨が明けていないが、今日は幸いにも好天気。この分だと大勢の人出があ
りそう。行列は5時頃からだが、昼間からあちこちで、若い連中が祭りの衣装で、笛と太鼓を鳴
らし、お布施と言うか門づけと言うか、賛助金のようなものを集めに回っている。これから夏本番
をむかえるには、たしかにふさわしい行事だ。元気が出てくる。

天神祭りだ!

7月25日

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