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このページは、天野画廊の画廊主・天野和夫の、きわめて個人的な出来事を綴ったものです。
画廊の仕事が、一見個人的であるにもかかわらず、社会的な機能を果たしているありさまを、
おわかりいただけるかと思います。
自他ともに、プライバシーには慎重に配慮いたしますが、うっかりと逸脱している場合は、すみ
やかにお叱りのお言葉をお願い申し上げます。                天野画廊 天野和夫

画廊主
   の
独り言
お叱りのお言葉,ご意見など
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3月11日の東日本大震災から50日たった。ある人は、この大震災が、日本の歴史上、明治維新、第二次
世界大戦での敗戦につぐ3番目の大きな出来事であるという。学者たちは、なにか意味ありげなことを言わ
なければ注目されないそうだから、まあ言わせておくとして、連休の合間を利用して静かに考えるのもよい。
美術界でも、今回の大震災が、美術と社会のかかわりを考え直す機会になったという人が多い。
確かにそういう面があるのは否定しない。だが、美術界といっても、作り手(作家)と買い手(クライアント)、
それにその間に立つ私のような画廊主の三者三様。これに評論家や美術館などを加えると、とても一様に
論ずるのは無理というものだ。
作家が、いまごろになって美術と社会の関係を見直さなければといいだすのは、偽善っぽく聞こえて、私は
好きではない。作家は、もともとアナキストであり、常に社会からある程度の距離を置いて作品を作るもの
と、私は思っている。もう一度社会主義リアリズムを目指すなら別だが。もし今回の震災が作品に影響を与
えるとしたら、それは総論的な美術と社会の関係の中ではなくて、作家の個人的体験がそうさせるのだ。ど
んな時代でも、作家はそのようにして作品をつくってきたし、その結果、人々に何らかの共感を抱かせた仕
事がクローズアップされる。この基本図式は不変だ。作る人と見る人の間には、理解をめぐって微妙なタイ
ムラグがあるので、すぐに認められるか何十年もかかるか、それはわからない。また、当然認められないま
ま終わる作家もいる。
社会とのかかわりに敏感なのは、むしろ画廊主の側。私自身、子供のころ、「鉄腕アトム」の熱心な読者で
あったので、経済や文化の「成長神話」には疑いをもたなかった。目前の新幹線や高速道路網、ビルの谷間
を縫うように走る自動車道路などは、まさしく「鉄腕アトム」から抜け出た現実だった。原発に関しても、「東海
村」の成功は、輝かしい未来を保証するもので、「核の平和利用」の美名のもと、科学技術の勝利を信じて
疑わなかった。だが、チェルノブイリで事態は一変。原発と核爆弾は基本的にはおなじものだと認識した。だ
が、まだ、核反応のコントロール技術には強い信頼をおいていた。それもまたひっくり返されたのが、今回の
大震災。もうここにいたって、私は自ら信じてきた「成長神話」を放棄せざるをえない。
画廊主は、古本屋の店主のようなもので、きわめて個人的な仕事をする人間だと、私は思っている。扱う作家
は、ほとんど好き嫌いで決める。時々、中には嫌いな作家でも私は扱うという同業者がいるが、それは売れる
からで、その業者は売れることが「好き」なだけだ。とにかく、個人的な付き合いの延長で作家と接する関係上
いやおうなく作家に自分の考えを押し付けることが多くなる。社会とのかかわり云々も、そういう関係のなかで
自然に出来上がっていく。
ややこしいのは、もう一方の、買い手の問題。画廊に社会的機能があるなら、その大半は、この買い手の問
題かもしれない。販売至上主義の商業画廊と現代美術を扱う画廊とは、顧客層が大きく異なるのは明らかだ。
だが、買い手の心理は、社会現象的に共通する部分が多い。平たく言えば、購入対象は、ある程度の評価を
受けた作家の作品で、これからもっと評価が期待できるもの。自分の目だけを信じて買う人は偉いと思うが、
現実にはとても少ない。「さすが目が高い」というのは、ただのセールストークである場合がほとんどだ。いま
から40年近く前、すでに老人だったある有名なコレクターが、「天野さん、目明き千人、めくら千人といいます
が、実際には、目明き一人、めくら千人ですよね。」といったことを、その表情とともにはっきり覚えている。
買い手の心理の話にもどそう。この50年の間に、バブルが2回はじけて、それにリーマンショックと今回の大震
災。買い手の心理に大きな影響を与える出来事が、すくなくとも4回ある。そのつど、買い手の層が入れ替わり
購入作品の傾向も入れ替わった。その仔細を観察するのは、私の関心事ではないので、他の人に任せる。
いいたいことは、そういう不連続点で、主流となる美術潮流や作品の傾向、売れ筋作品などが大きくかわって
きたという事実だ。しかもそれがそのときにわかるものではないということも事実。何年もあるいは十数年も経っ
てわかることのほうが多い。
成長神話が否定されて、何に取って代わられるのかはわからない。ただ黙々と作る作家の作品が新しい買い
手の心に触れたときに、作品が作家の手を離れてゆく。本来なら「画廊を通じて」の文言を挿入したいところだ
が、時を追って画廊の存在が希薄になっているので、あえて書かないことにした。いずれにしても、何が買い
手の心をつかむのか、先取りできる者が、次の時代のリーダーシップをつかめるにちがいない。

連休の合間に
つれづれ思う


5月2日

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